「三軒茶屋にて地下スペース「KEN」主宰、表現の上下左右東西南北白黒黄赤茶色関係を無視した「発見の場」「実験の場」「創造の場」を目指す。盲目の音楽家、S.Wonderや八橋検校の感覚、自らも体感できるような「場」を作りたい。第二の故郷は、West Philadelphia。」
・・・などと勢い余ってtwitterのプロフィールに一度書いたが、これではきっと意味不明なのだろうと思い、消した。けれど、思いは変わらない。
今年の2月末、三軒茶屋にKENという芸術スペースをオープンしてしまったのだ。オープニングは、西江雅之(言語学・文化人類学)。大変ユニークなヒト。同時にハードなヒトである。彼のトークでスタートした。アーカイヴのページに彼についてちょっと書いた。ぜひ、読んでいただきたい。
「世界は恐怖する 死の灰の正体」亀井文夫監督(1957年作品)というドキュメンタリー映画をご存知だろうか。今、KENで上映会を行っている。ビキニ環礁でアメリカが水爆実験をやりたいだけやりまくっていた時代に製作された貴重な映画。極めてメッセージ性の濃い、強く、しかしユーモアも冴える作品。当時、すでに、日本にも「死の灰」は降ってきていた。それを、必死に調査、研究する立派な科学者たちに迫る映画。そして、広島、長崎に関しての話も徳川夢声のすばらしいナレーションで語られてゆく。「過去」を振り返ることなくここまで来てしまった日本。そこに住む我々にとって、とても重要な作品だと確信している。今、また観られるべき、再評価されるべき映画で、ぼくの中では、これぞ芸術作品な映画であり、この期に及んで俄然タブーまみれ状態が無言で継続される日本社会において「表現の自由とは何か」ということすら考えさせられる代物。
オープンしてもうすぐ一年、いわゆる「社会派」な事をやっている場所と思われる方もいるだろう。一方、ぼくを知っている人は、ぼくがいかに社会とは関係ない者であるか知っているのだ。特定の思想もない。投票やアートで社会が変わるとは考えていない。とはいえ、3月11日以来、放射能の問題を扱わざるを得ないのは、それを回避しての「現代」はないと、ただシンプルにそう思えるからだ。
現代の表現とは、今ある状況、そこに、目の前の世界に正面から対峙した上での話だ。で、そうすると「表現」とは何か、という根本的なテーマにブチ当たる。
Malcolm Xという自立する一人の表現者が、かつて60年代のアメリカにいた。ぼくが彼の存在を知った時にはもうとっくにこのカリスマは暗殺されていたが、そのアメリカにいたぼくは、彼の自伝を17歳の時に読み底知れぬ感動を覚えた。この決定的な出会いが、KENという場所で何かやってゆく上での土台になっていることを最近知った。彼の自伝は、英語で読み切った最初の本。17歳の時だ。以来、彼の言葉をレコードなどの複製メディアを通して何度も聞いた。そのプロセスで、その種の英語を知らぬ間に習得していた。当時から(そして、結果的には今もだけど)傾倒していた音楽は、ジェームス・ブラウン、ジミ・ヘンドリックス、P-FUNK、プリンス・・・。十代後半であったぼくにアメリカのブラック・カルチャーが与えた影響は多大なものであったと、今改めて自覚している。ぼくが、異邦人としてあの時期に出会った友だち、恋人、そこにあった音楽、街、自分の中の一部だった揺るぎないグルーヴを引き出してくれた人々、逆境の最中に彼らが築いてきた文化に対して、今、心から感謝している。
HIPであるということ。それは、話せば長くなるし、言葉にはできない感覚、あるいはセンスなのだが、それは、アフリカン・アメリカンの表現の核になっている大事な態度の現れだ。そして、それは特に現代という「今」、あるいは、いつの時代のその「今」にとって、自由な表現に必要な、ある種の反発する力。FUNKな精神だ。それに迫ろうとするぼくの中にある感覚は、きっとこのまま一生続いてゆくのである。
音楽や美術といったアートにある美意識は価値観だ。芸術の有り様において(もはやそんなことすらあえて自覚する感覚すらないのかも知れないが)それは、西洋をその発端にしているものが圧倒的である。白人主体の、そもそも欧米のカルチャー。一方で、また別の次元で、我々が住む情報まみれ、商売まみれのこの世界は、あらゆる価値観を知らぬ間に押し付けて来る。「御用学者」などという言葉が最近使われているが、「御用デザイナー」や「御用アーチスト」も多い。売れているものが、いいアイデアで、いい作品。その価値観に勝るものはなく、そもそもアートは政治と金だということだ。それを否定するつもりは毛頭ない。そういう歴史が常にあり、いいも悪いもそれで成り立ってきた分野だから。けれども、少なくともそれを知っておく必要はあるだろう。何をやるにしても。とにかくこう思う。知識や意識の低下により、CM業界じみたその価値の有り様が、今や危うい状態にあると言えるのではないかと。
KENでは三回にわたって崔善愛(チェ・ソンエ)のピアノソロ・ライヴを行った。彼女は、在日韓国人三世。指紋押捺を拒否してきたアーチストだ。活動家、としてのイメージがその筋の人から見ると強いのかもしれない。故に、彼女をKENでは一人のアーチストとして捉えた内容のコンサートにしようと考え、実践した。そして、表現の根源に迫る美術家、浜田剛爾のパフォーマンスもシリーズでやった。
・・・とか言っても、まだ何もやっていない。KENはまだまだこれから。先が見えないこの世界を、座頭市さながら、直感に従い、歩んでいければと思っている。
粟津ケン